2008年8月22日金曜日

VJソフト比較

先日、VJソフトの実験をした。全てデモ版を使用。検討事項は

1. Matrox triple Head 2 go を使い、マルチプロジェクションができること。つまり任意の解像度で出力でき、かつ今回は3画面がその出力画面の中に収まり、なおかつそれぞれの再生操作やパラメータを個別にいじれること。
2. 3つのクリップに対してRGB色補正ができること。
3. Mac book Pro で安定して走ること。
4. 4点補正ができると最高。

候補として使ったソフトは
1. Arkaos VJ Midi
2. Arkaos grand VJ
3. Modul8

である。どのソフトも検討事項1)マルチプロジェクション はクリアしている。
それぞれのソフトの結果をまとめる。

1. Arkaos VJ Midi
インターフェースが非常に充実しており、それぞれのパラメーターに数値入力可能なので、かなり細かくいじれる。色補正系のエフェクトも充実。
決定的な欠点は、ムービー出力中に裏で次のクリップを読み込み、再生を開始する瞬間に、再生出力中の動画が引っかかって一時停止すること。これでは使い物にならない。この欠点さえなければ理想のソフトだったのだが。残念。再生中のフレームレートが安定しないのか、やや再生ががくがくする嫌いもある。

2. Arkaos grand VJ
Arkaos VJ Midi よりもだいぶ後、つい最近発売になったソフトだが、インターフェースを見れば一目瞭然、明らかに軟弱なソフト。直感的で単純なインターフェースで、さほどシビアな調整を問われないであろうVJプレイ仕様か。色補正のエフェクトがないのでNG。RGBをリズミカルに変化させる安っぽいエフェクトはあるくせに。エフェクト自体も内蔵なので拡張性がない。
しかしArkaos VJ Midi で見られた、再生中の別クリップの読み込み時の引っかかりは見られず、再生も安定していた。
唯一このソフトは四点補正が可能である。しかしMatrox triple Head 2 go を接続した場合、当然分割される前の出力画面を1画面と見なし4点補正するわけなので、このシステムでは意味がない。ひょっとしてMatroxへいく手前の各クリップに対して補正ができればすごいのに、と思ったがそんなうまい話はない。
すでにパッケージ化されてしまった感のある商品。
しかしこの四点補正は、シングルプロジェクションの場合はかなり便利だろう。再生も安定しているし、RGB色補正を必要としない(ブライトネスとコントラストは調整可能)、単純なプレーヤーとして使うなら、活躍しそう。

3. modul8
デフォルトのインターフェースがあまりにも操作しにくいので驚く。何階調あるのかわからないが、例えば色補正やスケールコントロールを直径1cm位のつまみ型アイコンで回してコントロールするのは不可能だろう。
不親切なインターフェースなので触るのに時間がかかったが、このソフトが素晴らしいのは、アイコンを組み合わせて独自のコマンドをプログラムできるところ。つまりかなり拡張性がある。基本的なエフェクトは充実しているし、操作できるパラメーターもかなり多い。それらを組み合わせれば複雑なエフェクトや操作を作り出せる仕組み。Web上にはオープンライブラリーもあり、ユーザーが自作したエフェクトやインターフェースがダウンロードできる(デモ版では不可)。この拡張性にはかなり期待できる。アイコンの操作性が悪いのは、外部にMidi コントローラーやキーボードをつなげて使うことで解消できるはずだ。
再生自体も安定している、が、3時間くらい試行錯誤する中で2回強製終了。まあ操作に慣れればいけそうな気はしている。起動時の外観よりもずっと真面目で、可能性のあるソフトなのではなかろうか。

というわけで、次回公演に向けて、modul8を拡張して使う方向にすすむ。四点補正ができないが、各クリップをX.Y.Z軸方向にローテートすることはできる。それで原理的には調整可能なはず。
もちろん友人のプログラマーの協力がなくては使い物にならないソフトだが。私も自分でプログラミングできるようになったらいいのに。

2008年8月5日火曜日

ただの言葉の問題

 先日、ある製作現場の打ち合わせ、3名以上が参加するMT。私とAさんの意見がかみ合わず、議論がこじれそうになった時にBさんが言ったことが、「それはただの言葉の問題だ」。
 色々な問題がある中に、「ただの言葉の問題」という注意すれば避けられる事態の存在に気づかされたのだった。ただの言葉の問題は、会話するに値せず。浪費。
 言葉だけを捉え、扱うのは不十分な議論である。こう言ってしまえば当たり前のことだが、それを鮮やかに言語化し、意識させてもらった瞬間だった。

木槿 / フランスパンのカロリー / Mobile Me

 とあるビデオのテロップにこの「木槿」を入力せねばならなかった。この文字を紙媒体の資料で見、何と読むのかわからないと思っていたら、ビデオの中の男性が「花はむくげです」と言った。しかし「むくげ」とMacに入力し変換するとどうなるか。

「むく毛」「尨毛」「毳」「蕣」

 「槿」の字が出て来ず、困った。「むく毛」とは、どこの毛なのだ。

むくげ/尨毛/毳
(1)(獣の)ふさふさと長く垂れ下がった毛。
「—の犬」
(2)薄くやわらかい毛。にこげ。

 とのこと。「毳」という字はすごい。毛がみっつ。

「蕣」はというと、
音読み:「シュン」
訓読み:「むくげ、あさがお」

 むくげとはアオイ科の落葉低木で、大韓民国の国花。あさがおは「ヒルガオ科だが、古語『あさがほ』は渡来植物である『あさがお』とは異なり、キキョウやムクゲを指したと考えられている。(wikipedia)」だ そうだ。

 さて、最初は手書き入力ツールを探してインストールするか?と考えたが、そんなに都合良くフリーシェアウェアが見つかるとも思えず頭を冷やすと、思い出した。最後に活用したのがいつか思い出せないが、漢和辞典。オンラインで利用。漢和辞典なんて、使い方すら思い出せないかも知れないと思ったが、HPを見たらすぐに思い出せた。便利なものだ。部首名と画数から検索するのである。このシステム/分類方法を思いついた人はすごい。
 それにしても部首名なんて、いつごろの国語の授業で学習し記憶されたものなのか。まったくわからないが、この種の知識がわたしの頭の片隅に収納されていることをありがたく思う。たまにこうして義務教育の恩恵を実感し、感謝したくなることがある。「x:720=1080:1920」の「外項の積=内項の積」とか。wikipedia で見たところ、日本の識字率は99.8%。
 「槿」は訓読みで「むくげ」、音読みで「キン」である。この一文字でも「むくげ」。ばか Mac め。

 夜ごはんに米を食おうとめずらしく思い、確実に一ヶ月は使用されていない炊飯器を出してきて炊いた。スーパーで「ゴーヤチャンプル定食」の素材を購入。準備万端。しかしこんなときに限って、仕事から帰って来る恋人とは、「焼きたてのフランスパン」を買ってくるものである。
 わたしが米をあまり食さないのは、「カロリー高そうで太りそうだから」であり、「お腹いっぱいになって酒がおいしくなくなるから」だ。フランスパンはお酒を美味しく呑めるから大好きだ。満腹感もそんなにないし。ではカロリーは?

100gあたり277kcal/1本240g 670kcal
(「カロリー_フランスパン」で検索、一つめに出てきた検索結果のHPより)

 最近「おろし蕎麦」にはまっており、「蕎麦ダイエットになるかも」と思っているのだが、わたしがほぼ毎日食べている「本格 岩手そば(リカマンにて購入)」は乾麺一束100g/一人前で358kcal。フランスパンは一本で2人前強だから、思ったよりフランスパンはカロリーが低い。バターなどの脂質が入っていないのも良い。

 Mobile Me をフリートライアルしている。アドレスブックを同期させ、オンラインでコンタクトを見ると、人名を「姓/名で並び替え」でしかソートできない。頭の漢字が一致するカードをくくり、どんな基準か知らないが、「あいうえお」順ではない表示順序で並び替えられる。iPhone も Mac も「ふりがな」でソートされているのに、何故?そういえば iPhone も Mac も「ふりがなで並び替え」というコマンドが見当たらないのに、勝手に「あいうえお」順で並んでいる。謎。Apple のディスカッションフォーラムを覗いたが、該当するトピックが見当たらず、調べきれなかった。

2008年8月2日土曜日

iPhone。

 iPhoneの発売日は7月11日。ちょうど本番中で、とても買いに行ける状態ではなかった。その日にわたしの関わっている公演を見に来た友人は終演後、オペブースにいる私に近づいてきた。なにか一言あいさつなり感想なりを伝えてくれるのかと思いきや、何も言わずにおもむろにカバンからハンドタオルにくるまれたiPhoneを取り出したのだった。どうせiPhoneの興奮にはかなわないでしょうよ、と少しいじける。

 遅れること2週間強、4日前にわたしもようやく手にしたのだ。まったく経験したことのないインターフェースに、まるでおじいちゃんになった気分。なかなか操作方法がわからない。ホームボタンでホームに戻ることでアプリケーションを終了できるとは。起動と終了の手数の少なさと速度に、「新しいデバイス」を実感する。

 よく悪い評判を耳にするキーボードを触っていて感じたことは、「これには訓練が要る」ということ。たしかに時折反応がものすごく遅くなったり、アプリケーションが落ちることはあるが、まあ初期型のこととして大目に見る。
 以外と「QWERTY配列」が打てることにまず驚いた。見た感じではこんな小さなキーは無理だろうと思ったが、なかなかセンサーが正確なのである。それにあの十字に展開するテンキーこそ、反応が改善されれば、馴れたらかなりの速度で、ストレスなく日本語入力が可能になると思う、変換予測もあるし。
 だから、PCが空いてるのに無駄にiPhoneからメールを打ったりして訓練をするべきかとも思う。なんとしてもこの新しいデバイスを最大限に駆使して、その恩恵にあやかりたいのである。

 その恩恵が一体なんなのか、わたしにはまだ計りかねる。未知である。それでもこの新たなデバイスへのやる気は失われない。

 普段ならさすがに気恥ずかしくもなろうこのミーハーな興奮に追い討ちをかける読み物。iPhoneを触り過ぎて眼が疲れ頭痛がひどくなったので、残念な気持ちで「ディスプレイはもう無理なので、まあ本でも」と、またも適当に手に取り開いた、佐藤雅彦著「プチ哲学」の一頁。

 発売早々iPhoneに飛びついたことを、わたしは悔いてはいない。あとは訓練あるのみ。

2008年7月28日月曜日

思想の舞台

 引きこもっている。去年の夏は3つの舞台作品に関わっていたのであまり家にいられなかったはずだが、今年は家にこもってひたすら映像の編集なのである。

 外に出ないので同僚にも友人にも会えないし、編集の締め切りに追われているので観劇や美術館にも行かれない。あまりの刺激のなさを危険に感じ、今日は休
憩がてらちょっとだけ、小一時間ほど本をパラパラ読んでみた。春頃に早稲田にある古本屋で購入した、「思想の舞台」(多木浩二著)。タイトルを見ると舞台芸術に特化した本のようだが、他にも音楽や建築などもモチーフとした幅広いエッセイ集だ。

 フォーサイスやピーター・ブルックなど、そうそうたる巨匠たちの作品を絶賛する文章が目白押しである。
不運なことに、この本のなかで触れられる巨匠たちの作品をわたしはほとんど見たことがない。かろうじてキリアンとピナをずいぶん前に見たくらい。
 
適当に開いたページには、マース・カニングハムの作品について書かれていた。

 「カニングハムの扱う身体は抽象的、非表象的である。叙情も物語もない爽快なダンスのすばらしさ。情緒ゼロのもたらす興奮。このゼロこそすべての身体の動きの可能性を探り、空間を発生させ、知性が動きはじまる地点なのである。」
 「これは身体以外に動きの指標を認めていないということである。身体の既成の文化的な意味から引き離されているという意味で抽象的かつゼロなのである。」
 ほんとかよ、と思う。そんな身体表現が可能なのか、と。しかし著者を「ゼロ」という幻想に連れ込み、さらに「
もともと身体にアプリオリに意味などあるわけではない。」とゲロさせてしまうダンスとは一体どんなものなのだ?興味が湧いたので、アマゾンでカニングハムのDVDを注文してしまった。

 ギャヴィン・ブライヤーズという作曲家の「Jesus blood never failed me yet」という曲についての文章は、すごく良かった。これについては後日ゆっくり考えようと思う。
  なにせ絶賛である。どのエッセイでも著者は終止興奮気味なのであった。各モチーフの刺激から紡がれる基本的にポジティブな思索を追いかけながら、どうやら世間には良い舞台作品があるらしいなあと
思いを馳せ、小一時間の休憩に「ほうっ」と一息ついたのだった。


 ところでこの本は、一般的な単行本よりもちょっとだけ小さい。
一般的なサイズは 「四六版上製」で19 x 13.4cm。この本は「四六変上製」と、出版社のHPに記載がある。定規で測ってみると、18.4×13.4cm。長辺が6mm短い。この大きさが実にコンパクトで手になじむ。良いサイズだなあと思う。こういう微妙な操作にわたしはつくづく「デザイン」という良心的な意図を感じ、嬉しくなる。

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 さて、これは「日々何か気になったら調べよう、そしてメモしよう」という意思で始めるブログである。一回目に何を書こうか。「所信表明はやっぱりうっとおしいか?」「いきなり始まる方が勢いというものが・・・」など悶々と考えているうちに、「みんな一回目に何を書いてるのか」が気になった。
 同棲している私の恋人Mは茂木健一郎の大ファンで、ブログを欠かさず読んでいる。ならば、と、この人のブログ一回目を調べようとしたが見られなかった。どうやら1999年11月11日から書いている。長く書いてるなあ。
 
 ではしょこたんは?と、期待して閲覧すると。

タイトル「きねんすべき一発目」
本文「これから成田をとびたちまーす!詳細はのちほど」
 
 軽やかだ。なかなか爽快な幕開きだ。
 調べて良かったのだった。