2008年7月28日月曜日

思想の舞台

 引きこもっている。去年の夏は3つの舞台作品に関わっていたのであまり家にいられなかったはずだが、今年は家にこもってひたすら映像の編集なのである。

 外に出ないので同僚にも友人にも会えないし、編集の締め切りに追われているので観劇や美術館にも行かれない。あまりの刺激のなさを危険に感じ、今日は休
憩がてらちょっとだけ、小一時間ほど本をパラパラ読んでみた。春頃に早稲田にある古本屋で購入した、「思想の舞台」(多木浩二著)。タイトルを見ると舞台芸術に特化した本のようだが、他にも音楽や建築などもモチーフとした幅広いエッセイ集だ。

 フォーサイスやピーター・ブルックなど、そうそうたる巨匠たちの作品を絶賛する文章が目白押しである。
不運なことに、この本のなかで触れられる巨匠たちの作品をわたしはほとんど見たことがない。かろうじてキリアンとピナをずいぶん前に見たくらい。
 
適当に開いたページには、マース・カニングハムの作品について書かれていた。

 「カニングハムの扱う身体は抽象的、非表象的である。叙情も物語もない爽快なダンスのすばらしさ。情緒ゼロのもたらす興奮。このゼロこそすべての身体の動きの可能性を探り、空間を発生させ、知性が動きはじまる地点なのである。」
 「これは身体以外に動きの指標を認めていないということである。身体の既成の文化的な意味から引き離されているという意味で抽象的かつゼロなのである。」
 ほんとかよ、と思う。そんな身体表現が可能なのか、と。しかし著者を「ゼロ」という幻想に連れ込み、さらに「
もともと身体にアプリオリに意味などあるわけではない。」とゲロさせてしまうダンスとは一体どんなものなのだ?興味が湧いたので、アマゾンでカニングハムのDVDを注文してしまった。

 ギャヴィン・ブライヤーズという作曲家の「Jesus blood never failed me yet」という曲についての文章は、すごく良かった。これについては後日ゆっくり考えようと思う。
  なにせ絶賛である。どのエッセイでも著者は終止興奮気味なのであった。各モチーフの刺激から紡がれる基本的にポジティブな思索を追いかけながら、どうやら世間には良い舞台作品があるらしいなあと
思いを馳せ、小一時間の休憩に「ほうっ」と一息ついたのだった。


 ところでこの本は、一般的な単行本よりもちょっとだけ小さい。
一般的なサイズは 「四六版上製」で19 x 13.4cm。この本は「四六変上製」と、出版社のHPに記載がある。定規で測ってみると、18.4×13.4cm。長辺が6mm短い。この大きさが実にコンパクトで手になじむ。良いサイズだなあと思う。こういう微妙な操作にわたしはつくづく「デザイン」という良心的な意図を感じ、嬉しくなる。

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 さて、これは「日々何か気になったら調べよう、そしてメモしよう」という意思で始めるブログである。一回目に何を書こうか。「所信表明はやっぱりうっとおしいか?」「いきなり始まる方が勢いというものが・・・」など悶々と考えているうちに、「みんな一回目に何を書いてるのか」が気になった。
 同棲している私の恋人Mは茂木健一郎の大ファンで、ブログを欠かさず読んでいる。ならば、と、この人のブログ一回目を調べようとしたが見られなかった。どうやら1999年11月11日から書いている。長く書いてるなあ。
 
 ではしょこたんは?と、期待して閲覧すると。

タイトル「きねんすべき一発目」
本文「これから成田をとびたちまーす!詳細はのちほど」
 
 軽やかだ。なかなか爽快な幕開きだ。
 調べて良かったのだった。